若き日数年の内に詩的燃焼をなし彗星のごとき発光体であったがまた彼の生き様はそれ以上に彼の鮮明なる意識が自ら選び取った人生そのものであったといえる。
詩人アルチュールランボーは・・・ 詩のなかに生命の躍動を母音のなかに言葉の律動を見出しそれをまだ見ぬ現実の世界を海景を太陽をその永遠の心を無尽に表した・・・その試みは失敗に終わったのかいやいやそれは生命持つものがいずれ辿るその後の荒々しい現実を抱く序章を謳ったもの詩人ランボーはそれを予見し詩という人間に与えられたそのあまりに人間的な手段をもって生命体のあり様を叫びなるものを若き命なるものの序章を奏でたにすぎない・・・。
彼は詩人として知られるが彼の人生は自らの決然たる意識と精神、肉体をもって自己を過酷なまでに費消し尽くした。
小林秀雄は・・・ 小林秀雄は「ランボオは恐ろしく意識的な生活者であった」と語ったがランボオはあまりに意識的な生命体であった。早熟にして第一級の詩を謳い「地獄の季節」によって小林秀雄「ランボオが破壊したものは・・・芸術そのものであった」とし自ら詩、文学、芸術との決別を断行した。
彼は彼の言う「荒々しい現実・・・」に対峙し自らの精神も肉体も焼き尽くすが如く生きる。彼は「悲惨を憎悪する・・・」と語った。彼の自意識はかれが詩の中で予見し言い放った言質を自ら宿命のごと具現する者としての生命体であった。
「年も情も弁えぬ、見知らぬ人の唯中に、横たわる俺の姿がまた見える・・・」(「地獄の季節」小林秀雄訳)彼はこう語り既に己れの人生、過酷なまでの生命体としての宿命をすでにその詩の中で予見していた。
詩との決別後、欧州を転々とし其後アデン、ハラルで交易商として生計、アビシニアで隊商を組む。「こんな馬鹿げた商売をして・・・日に日に老い込んで行くような気がします」(「地獄の季節」小林秀雄訳)
「彼が遺した書簡は、彼が往来した砂漠のように無味乾燥であって・・・読むに堪えない・・・あまりにも変わり果てたランボオの姿に驚く・・・」(「地獄の季節」小林秀雄訳)
小林秀雄は詩との決別後のランボーの生きざまをこう語っている。
「荒々しい現実を抱きしめる・・・」ランボーの生きざまとは、そして彼の魂が求めたものとは・・・
「俺には、魂の裡にも肉体の裡にも、真実を所有することが許されよう」(「地獄の季節」小林秀雄訳)これが彼が予見し自ら選び辿った道であったことは確かだ。